何でもかんでもサポートするのは間違い【生徒の成長を待つことが大事】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)

先日から、再び教育現場(※学校ではない)に戻ってきました。

僕の場合、中高生たちに “ある程度の道筋” は示しますが、

やはりあとは、自分たちで「自走」させることが大事だ

と感じています。

先生や親、教育者とは、どうしても手取り足取りしてあげたくなってしまいます。

しかし、大事なことは彼らが「自分の」足で歩くことです。

今日は、「教育者として伴走すること、自走させること」について書いていきます。

大切なのは、生徒たちが自分たちで成長することだ。なんでもかんでも手を貸してあげるのではなく、彼らの成長を見守ってあげよう。

手を貸してあげたくなっても…

教える立場にいますと、

あれもこれも

と、何かと手を貸したくなってしまいます。

だから、ここがこうで… 答えはこうすれば出るだろ?

と。

長年教育の分野にいますと、ここで「待つ」という動作が、いかに大事なのかがわかってきます。

“知っている側” からすれば、答えを教えることなんて、いとも簡単にできてしまいます。

でも僕らがまだ何もわからなかった時、

そんなに早く、答えを示さないでくれ!

と思いませんでしたかね。

ちょっと待って!考えさせて!

と。

大切なことは、なんでもかんでも手を貸すことが、全てではないということ。

そんなことをするくらいなら、生徒たちだって答えを見ればいいだけの話ですからね。

だからここで、

先生たちは、なんのためにいるのか?

ということについて、改めて考えなければなりません。

難しい立ち位置ではありますが、

  1. サポートはしつつも
  2. 成長するのを待つこと

が大事なのですね。

もったいぶるのは、知っている者の特権なんだって

伊坂幸太郎著『重力ピエロ』にもあるように、知っている側は「どうとでもコントロールできる」わけですね。

知っているからこそ、生徒たちの成長を “うまく” サポートしてあげること。

これが、教える側に求められている立場なのです。

生徒に手取り足取り教えたくなるものだが、グッと堪えよう。知っている側はうまい按配で、生徒の成長を見守るのだ。

ある程度サポートしたら、あとは自走

ただ、一人ではなかなかできない生徒もいます。

そんな時は、多少のサポート(=リードしてあげること)も必要です。

しかし、僕らが目指す教育の本質とは、「生徒の自走」です。

なぜか。

僕が先生だった時も、

三年間教えたら、あとは彼らも、自分の足で歩いていかなければならない

という事実を、知っていたからです。

僕らが大人になってから、自分たちの足で歩いているように、誰しも「一人で歩く時」を迎えるものです。

だから教育の時点で、「自分で歩く」歩き方を教えてあげるべきなのです。

先日も、ディベートのやり方を多少は教えましたが、その後に黙ってしまうチームもありました。

(さて、話し合いを始めるか?「私シャイだから…」は通用しないぞ?)

と、僕はじっと「その時」を待っていました。

すると、生徒たち自身で、自然と話し合い始めたのです。

僕は心の中で、「よし!」とガッツポーズをしました。

これは、高校教員時代にも起こっていた現象でした。

もちろん、急に全部投げられて導線もないまま「いいからやれ」と言われてしまいますと、生徒たちも何をしたらいいのかわかりません。

でも、多少なりとも導いてあげれば、あとは生徒たちに任せたほうがいいのです。

教える側は、あくまで「サポート役(=ファシリテーター)」ですからね。

黒子みたいなものです。

生徒たちが、勝手に走り出し始める瞬間。

僕はこの瞬間に立ち会えますと、ゾクゾクっとしてしまいます笑。

おぉ、ついに殻を破ったか!

と。

僕自身も、学生時代はコミュニケーションが上手かったわけではありません。

でも今、こうして大人になって生きられているのは、

人に助けられながらも、自分の足で進み、自分で切り拓いた

という自覚があるからです。

生徒たちにも、その成功体験をしてほしい。

僕はそういったスタンスで、教育現場にいますね。

ある程度のサポートは必要だ。しかし実際は、生徒たちに自走させることが大事なのだ。

また次へと進んでゆく

教育分野について、僕は、

種を蒔いて、また次へと進むこと

だと思っています。

その生徒の「人生の一部」だけではありますが、

  1. できるサポートをして
  2. いずれ自分で走れるようにしてあげること

僕は、これを目指しています。

自転車の後ろを持ってあげて、

よし!あとは自分で漕いでいけー!

と笑、そんな感じですね。

そのあとは転ぶこともあるでしょうが、いずれはうまく乗りこなせるようになります。

僕は再び、教育の現場に戻ってきたわけですが、これもまた「出会い」だと思っています。

  1. 向こうだって覚えていないこともあるだろうし
  2. こちらもまた、次の生徒へと指導を移さなければならない

という、自然の循環があります。

その中で、”たまたま” 僕と出会う生徒もいる、というだけのこと。

ただ、その瞬間は全力で指導をしますけどね。

だから僕は、教育をやめられないのです。

自分の蒔いた種がまた花を咲かせて、立派な大人になってゆく

その繰り返しを、見ることができるからです。

すると、旅立って行った生徒と懐かしい話になったり、一緒に飲みに行ったりすることができます。

その瞬間もまた、彼らが走り出した時と同様に、

教育をやっていてよかったなぁ

と思う瞬間ですね。

先生はいつまでも「先生」ですから、僕も止まらずにずっと成長していなければなりません。

  • 指導するからには
  • サポートするからには

僕自身も、模範を示さなければならないのです。

趣味としての、

  • 言語学習
  • 運動や健康
  • 自分の事業

など、いろんなことを続けていますと、また彼らの「ロールモデル」としての自覚も出てきます。

勉強して鍛錬して、生徒たちに伝えて指導して、また次の生徒へと繋いでゆく。

この繰り返しこそ、「教育」だと思っています。

自分が成長し、勉強し続けながらも、また新しい生徒に教育をしていく。この循環を続けてゆくことが楽しすぎて、僕は教育をやめることができないのだ。

おわりに

先生によっては、

教えている自分、目立てて気持ちいいぜ!

と思ってしまう方もいらっしゃいます。

これは教育の本質ではなく、ただの自己満です。

生徒の自走を考えながら、サポートしてあげること。

この点を、僕はいつまでも大切にしていこうと思っています。

それではまた!

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